こんにちは。
puamalie市川佐予です。
今月の麻紀ちゃんのスクールでのお話。
わたしは9月のスクールで
「自分を信頼していないと他者を信頼なんてできない」
「可愛い我が子だからこそ信頼し、ちゃんと境界線を引くことの大切さ」など
「自己信頼」をまた深く学びました。
そして、それをお試しされたかのような出来事がありました。
旦那様の入退院に、子供の受験、、、
それが丁度、広島のお手入れ出張と重なり
何を優先して、どんな選択をするのかをもの凄く問われました。
が、わたしはほぼ動揺することなく
旦那様の問題や課題と自分の課題をちゃんと客観的に観て
これからどうしていくのか、どんなサポートができるのかを考えました。
そして、いまのわたしがやるべきことはなにか
それをするために、どうやったらいいかだけを考えました。
なのでわたしが
旦那様が退院したばかりでまだ不自由なこともあるから「広島へは行かない」
という選択肢は微塵もありませんでした。
もしわたしに罪悪感や自己犠牲があれば
「広島には行けない」という選択肢になったかもしれませんが。
わたしにはいまやるべきことができると自己信頼もしていたし
旦那様や子供のことも「大丈夫」と信頼できたし
同時にわたしのその選択を理解してくれた家族にも
本当に助けられたし、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
なので広島での全てがうまく循環したし
素晴らしい経験と学びになったし、家族もそれを心から喜んでくれました。
今回の出来事で感じたことは
わたしたちは日々自己信頼を問われていて
ひとつの出来事に対して、多面的に受け取れば
それにかかわるそれぞれのベクトルでの気付きや学びがあるということ。
今回の出来事で言えば旦那様の入院。
今回の入院は病気ではなかったので
旦那様のベクトルから見ると
旦那様に気付くべきことがあるので起こったこと。
わたしのベクトルからみると自己信頼のお試し。
何故なら
「旦那様がこんなことになったのは自分が気付かなかったからだ!」
「旦那様がこんな時にわたしだけ、じぶんのやりたいことやってていいのかな?」
などなど、以前のわたしには「自分が悪い」が根底にあったので
起こる出来事の捉え方も恐れからのものでした。
がしかし、麻紀ちゃんのスクールで学ぶ過程で
自分のビジョン(どんな風に生きていきたいのか)が明確になり
それを表現していくツールが、いまのわたしにとっては「お手入れ」だということ。
それを再確認するためにも広島でのお手入れは
わたしにとってはめちゃくちゃ大きなチャレンジであり
その挑戦をやらないという選択肢がないということ。
なので何が起ころうと「どうやったらできるかな」しかなく
本当にチャレンジできなくなるようなことは、起こらないとも思っていること。
すべては自分の捉え方、選択肢
そして何より大切な、それをやり抜く意志の力です。
そんなわたしも以前は、「自己犠牲」のオンパレードでした。
自分さえ我慢すれば、自分がこうすることで救えるなら、、、
わたしにしかできない、わたしがやるしかない、、、
こんな隙だらけのわたしなので
そのようなことが起こるし、そのようなひとが寄ってきます。
すべてわたしの問題でした。
いまのわたしに言わせると
「我慢せんでいいし、救わんでいいし、やらんでいいし!」に尽きますが。(笑)
麻紀ちゃんがよく言われる
「迷ったりブレるのは、着地点(どう生きるのか)を決めてないから。
ビジョンが明確であれば、迷ったりブレてもそこに戻ることができるのです。」
「犠牲になんてならないし、なってないし、しないし、させないし。
そう感じるのは自分の妄想であり、自分のパターンであり
自分の世界を創り出しているのは、他者でもなく、環境でもなく自分だということです。」
をまた深く理解することができた出来事でした。
ありがとうございました。